昔の河間の姿を今にとどめる「北方町がま広場」の河間 

河間の湧くところ

河間(がま)― 自然に水が湧き出る自噴井を濃尾平野ではそう呼びました.昭和初期以前には,輪中地帯の北部エリアにたくさんの河間がありました.今の大垣市,瑞穂市,岐阜市です.低平な輪中地帯の北部エリアに河間が集中したのには訳があります.それは,輪中地帯の少し上流側に扇状地があるからです.扇状地は,山から平野部に抜けた川が洪水のたびに右に左に振れながら土砂をまき散らして形成した扇状の緩傾斜地です(下の地図の黄色部).扇状地の河床は粗い礫からなり,いわばスカスカの状態です.そこに川の水が潜り込み,地下を流れます.そして,扇状地のやや下流,すなわち輪中地帯の北部エリアで湧き水となって再び地表に現れます.それが河間です.下の地図上の”X”は,上の写真の「北方町がま広場」のある場所です.

濃尾平野北部の治水地形分類図(出典:地理院地図).黄色部が扇状地,薄い緑色は輪中が発達した低平地.

河間の水環境

河間の湧水は年中水温が安定しており12~17℃程度だったようです.灼熱の8月も,伊吹おろしが吹きすさぶ冬も,安定した水温・水量からなる河間とそれに連なる水路は,とても特異な水環境でした.そこには安定した湧水環境を好むハリヨが生息するなど,輪中の生物相をよりユニークで豊かなものにしていました.

滋賀県北東部と岐阜県西南濃地方にのみ分布するハリヨ(環境省・絶滅危惧IA類)

河間と水田

河間の水は輪中内の水田にも当然利用されました.しかし一方で,水田に必要のないときでも常に湧き出る水は,もともと水はけの悪い輪中―特に各輪中の下流エリアの人々から嫌われる存在でもあり,騒動の種にもなりました.輪中は河川の洪水(外水)から身を守る運命共同体ですが,輪中内の水(内水)の動きを巡っていざこざも発生してしまう,ナイーブな側面もあったようです.

河間の消失

昭和24年の土地改良法制定以降,現代的な圃場整備や道路の敷設が急速に進むにつれ,多くの河間が潰されました.また,豊富な湧水は地域の工業化を牽引したわけですが,それと引き換えに地下水位の低下に伴う河間の枯渇も招きました.こうして今では,河間は寺社の境内や公園などにわずかに残るだけとなっています.北方町がま広場の河間は,人々の生活の中に生きていた河間の姿を今にとどめる貴重な存在です.